第十五話  「伊弉諾尊」(1)

画 「天瓊矛を以て滄海を探るの図」小林栄濯 画

右がイザナギ、左がイザナミ Wikipedia(2022/01/23/21:00)

○ヘブライ系倭族「苗(ミャオ)族)」 姓は「昔氏」

移動経路はスサノオと同じなので省略します。

○先祖は涿鹿の戦いで敗れた九黎族のリーダー蚩尤(しゅう)

○コハン神話

○延烏郎が日本に渡って王になった

○延烏郎夫妻が新羅に送った「織った絹布」

○倭国へ渡来した伊弉諾尊のその後

○伊弉諾尊を祀る神社

1.ヘブライ系倭族の一派苗族(みゃおぞく)姓は「昔氏(そくし)」

中国国内に多く居住する民族集団。同系統の言葉を話す人々はタイ・ミャンマー・ラオス・ベトナ

ムなどの山岳地帯に居住。自称はモン族。「ミャオ族」は、漢人による蔑称。

2.先祖は九黎族のリーダー蚩尤(しゅう)

黄河文明(華夏民族)と長江文明の抗争(広い意味の倭族)は一方的に敗れた長江文明は滅びました。詳しくは第五話をご覧ください。

3.コハン神話

『三国遺事-延烏朗・細烏女』コハン神話

「第八代阿辰羅王四年のある日、東海のほとりに住んでいた延烏郎・細烏女夫婦のうち、夫の延烏郎が海で藻を取っていたところ、岩に乗って日本へ運ばれてしまった.妻の細烏女が夫を探に出て岩に乗ると同じように日本に運ばれました。

夫婦は日本で王と妃になりましたが、新羅では太陽と月の光が消えてしまったので、新羅王は使者を日

本 に遣わして二人の帰国を求めましたが二人は「天命だ」として還らず、その代わりに王妃のために織った絹布を差し出し、「国に帰ってこれで天を祀れ」と云い、使者に渡し、帰ってからその通りにすると再び太陽と月の光が戻りました。」

故百嶋氏は「コハン神話の主人公延烏郎(えんうろう)を伊弉諾ではないか」としています。

4.新羅歴代王系譜の疑問

故百嶋氏ならびに故鳥越憲三郎博士は、第一代を「朴氏」と認めつつも、第二代以降は「昔氏」ではないかと指摘しています。

その理由について著書『倭族と朝鮮人』で以下のように記述しています。

「朴氏」は第二代・第三代・第五代・第六代・第七代・第八代の合計七代

「昔氏」は第四代・第九代・第十代・第十一代・第十二代・第十四代・第十五代の合計七代と規則的に記されているのが恣意的と指摘しています。

5.延烏郎が日本に渡って王となった

故百嶋氏は「大日孁貴(おおひるめむち 後の卑弥呼)に日本の統治を依頼された。」と述べています。

しかし、イザナギは「日本の王」にはなれませんでした。

6.延烏郎夫妻が新羅に送った「織った絹布」

『後漢書』倭伝

「織績を知り、縑布(けんぷ)を為(つく)る。」

「縑布とは絹布」の意味です。古代絹の科学的研究をした京都工芸大学名誉教授の布目順郎博士は、全国の遺跡を調査した結果、弥生時代に限ると絹は北部九州しか出土していない事を明らかにしています。また吉野ヶ里遺跡から紀元前170年頃の最古の絹の布片が出土していて、国産の絹であることが確認されています。

したがって、延烏郎が送った「織った絹布」は北部九州の倭国から送ったことは明らかです。

7.倭国へ渡来した伊弉諾のその後

故百嶋氏は、伊弉諾について紀元184年新羅の要請により、新羅第九代伐休尼師今として即位するため帰国したと述べています。御年79歳でした。

8.伊弉諾尊を祀る神社

伊弉諾神社  兵庫県淡路市多賀

写真 伊弉諾神宮 出典:同社HP

『日本書紀』は「構幽宮於淡路之洲」とありますが、『古事記』真福寺本では「故其伊耶那岐大神者坐淡海之多賀也(かれ、そのいざなぎおおかみはおほみにたがにますなり)」としています。

故古田武彦氏は、「古事記』真福寺本を採用し、「淡路ではなく淡海」としています。

兵庫県淡路市多賀の伊弉諾神社には伊弉冉尊と共に祀られていますが、

『幽宮御記(かくれみやおんき)』には、「伊弉諾尊一柱也」とあり、創建当初は伊弉諾のみが祀られていました。その後、同社は伊弉冉を配祀するため請願運動を展開し、1932年内務大臣により「請祭神を配祀として増加の件聴届く」と許可があり、ようやく二神を祭祀することになりました。

滋賀県犬上郡多賀町多賀の多賀大社は当初から伊弉諾尊・伊弉冉尊をご祭神としています。

表10 Wikipediaによる『三国史記-新羅本紀』が記す歴代王

代位 王名 在位年数 特記事項
1 赫居世西居世干 BC57~AD4 倭人「瓠公」記事
2 南解次次雄 AD4~24
3 儒理尼師今 AD24~57
4 脱解尼師今 AD57~80 「瓠公」AD65年「金閼智」を得る

南解次次雄の女婿

5 婆婆尼師今 AD80~112
6 祇摩尼師今 AD112~134
7 逸聖尼師今 AD134~154
8 阿達羅尼師今 AD154~184
9 伐休尼師今 AD184~196 [三国遺事」 が記す延烏朗
10 奈解尼師今 AD196~230
11 助墳尼師今 AD230~247
12 沾解尼師今 AD247~261
13 味鄒尼師今 AD261~284 金閼智 金氏始祖
14 儒礼尼師今 AD284~298
15 基臨尼師今 AD298~310
16 訖解尼師今 AD310~356

上記の表は半島古史の基本資料に位置づけられている井上秀雄・鄭早苗共訳の『三国史記4(列伝)-東洋文庫1988年』によるものです。

 

次回は伊弉諾尊(2)です。

 

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