第四十四話 「孝昭天皇の実体草部吉見命(かやべよしみのみこと)」

写真「草部吉見神社」 出典:熊本県総合博物館ネットワーク・ポータルサイト

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○黎族(れいぞく)阿蘇多氏(おおし)

○四人の妃

○草部吉見のまたの名

○草部吉見神を祀る神社

○大年(歳)(おおとしのかみ)神を祀る神社

 

1.黎族(れいぞく)多氏(おおし)

黎族多氏はイスラエル系苗(ミャオ)族の王で、雲南省麗江(れいこう)から海南島・琉球諸島を

経て長崎県天草市下島の苓北町(れいほくちょう)に上陸しました。此の地を統治したのが草部

吉見の叔父神八井耳命(かむやいみみのみこと)です。

その後は、苓北町から阿蘇外輪山の南西部に移動し、一時は高木大神の配下になりました。

草部吉見命は阿蘇耳族の統領に就きましたが、ほどなくして弟の手研耳命(たけしみみのみこ

と)こと建盤龍命(けんばんりゅうのみこと)に譲り、高木大神の配下から独立する道を選びま

した。

草部吉見命は、その能力を発揮し、九州王朝や豊玉彦・スサノオ・高木大神からも支援さ

れ、出世の階段を登り続けました。

藤原氏は阿蘇族後を受け継いでおり、一族の英雄に「別王」並びに天皇の称号を贈りました。

すなわち「贈孝昭天皇」です。ただし、正統な天皇ではありません。

2.四人の妃

(1)高木大神の娘𣑥幡千々姫(たくはたちちひめ)

御子に天豊津姫(あめのとよつひめ)と天忍日命(あめのおしひのみこと)

天豊津姫は懿徳天皇の皇后でしたが、草部吉見命の弟健盤龍命に略奪され、名を

阿蘇津姫に改めましたが、周囲からは屁理姫と呼ばれ、肩身の狭い思いをしていました。

草部吉見命や周囲のすすめで、豊玉彦に身柄を預け、名を杉山姫に改めました。

(2)豊玉彦の姉アカル姫

御子に興津姫(おきつひめ)と天葺根命(あめのふきねのみこと)後の名大山咋(おおや

まくい))

(3)スサノオの娘瀛津世襲足姫(おきつよそたらしひめ)

御子に天足彦(あめのたらしひこ)こと彦坐王(ひこますおう)

(4)スサノオの娘志那津姫(しなつひめ、級長津姫とも表記)

御子に波比岐神(はびきのかみ)こと御年神(みとしのかみ)

以上の通婚を通じて、草部吉見命は終には九州王朝の英雄となります。

3.草部吉見のまたの名

故百嶋氏のメモに「多氏統領:天児屋根命とその他」が残されています。

若年期 彦八井耳・国龍

草部吉見・正勝(まさか)

天手長男・真坂(まさか)

妃:拷幡千々姫

 

天手長幡姫

高木大神の御子
青年期 海幸彦・火闤降・吾勝(あかつ)大歳・大年・吾田村主

建雷・武甕槌・(阿多)

妃:置(瀛)瀬尊

市杵島姫

(七夕サマ)

 

 

スサノオの御子

  安日彦   生島神

丹後の居祖?

妃:瀛ツ世襲足姫

足島神

  風早・風神・志那ツ彦

天児屋根(志那・級長)

(多・大)息長

妃:志那ツ姫・雷神

辛国息長大姫(大目命)天細女

 

天忍男・ 天忍穂耳尊・忍骨

Aニギ速日

犬飼  擬神体

狩場の明神

高野明神

正勝ゆかりの地

常陸那賀郡  真崎

豊前中津市  真坂

薩摩南さつま市阿多

(吾田)

福岡県小郡市の老松神社に「犬飼神」として祀られています。

故百嶋氏は「安日彦(あんびひこ)」の名は、「投馬国王ナガスネヒコ」の家臣であった当時の

名としています。

4.草部吉見神を祀る神社

   熊本県阿蘇郡高森町草部  草部吉見神社

ご祭神:日子八井命(ひこやいみみのみこと)別名国龍神(こくりゅうのかみ)・草部吉見

神・年祢神(としねのかみ)

熊本県阿蘇郡南阿蘇村白川 白川吉見神社

白川水源の鎮守神

ご祭神:国龍大明神・罔象女(みずはのめ)

   写真  草部吉見神社 出典:熊本県総合博物館ネットワーク・

ポータルサイト

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写真  「白川吉見神社」出典:九州の神社

同社境内にある 「白川の水源」 出典:同社HP

5.大年(歳)(おおとしのかみ)神を祀る神社

   大年神(大歳神とも表記)を祀る神社は「平成祭データ」で検索すると全国に734社あり、最

周密地域は兵庫県で448社が確認されている。その他では広島県108社、島根県55社、山口県38

社、大分県18社、福岡県13社です。

大年神について『記-大年神の系譜』は、またの名を大国御魂神)おおくにみたまのかみ)と

云い、香用比売(かよひめ)との間に生まれた次男御年神(みとしのかみ)が後継者となりまし

た。

 

   次回は「贈孝安天皇」です。

 

 

   

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