写真「草部吉見神社」 出典:熊本県総合博物館ネットワーク・ポータルサイト
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○黎族(れいぞく)阿蘇多氏(おおし)
○四人の妃
○草部吉見のまたの名
○草部吉見神を祀る神社
○大年(歳)(おおとしのかみ)神を祀る神社
1.黎族(れいぞく)多氏(おおし)
黎族多氏はイスラエル系苗(ミャオ)族の王で、雲南省麗江(れいこう)から海南島・琉球諸島を
経て長崎県天草市下島の苓北町(れいほくちょう)に上陸しました。此の地を統治したのが草部
吉見の叔父神八井耳命(かむやいみみのみこと)です。
その後は、苓北町から阿蘇外輪山の南西部に移動し、一時は高木大神の配下になりました。
草部吉見命は阿蘇耳族の統領に就きましたが、ほどなくして弟の手研耳命(たけしみみのみこ
と)こと建盤龍命(けんばんりゅうのみこと)に譲り、高木大神の配下から独立する道を選びま
した。
草部吉見命は、その能力を発揮し、九州王朝や豊玉彦・スサノオ・高木大神からも支援さ
れ、出世の階段を登り続けました。
藤原氏は阿蘇族後を受け継いでおり、一族の英雄に「別王」並びに天皇の称号を贈りました。
すなわち「贈孝昭天皇」です。ただし、正統な天皇ではありません。
2.四人の妃
(1)高木大神の娘𣑥幡千々姫(たくはたちちひめ)
御子に天豊津姫(あめのとよつひめ)と天忍日命(あめのおしひのみこと)
天豊津姫は懿徳天皇の皇后でしたが、草部吉見命の弟健盤龍命に略奪され、名を
阿蘇津姫に改めましたが、周囲からは屁理姫と呼ばれ、肩身の狭い思いをしていました。
草部吉見命や周囲のすすめで、豊玉彦に身柄を預け、名を杉山姫に改めました。
(2)豊玉彦の姉アカル姫
御子に興津姫(おきつひめ)と天葺根命(あめのふきねのみこと)後の名大山咋(おおや
まくい))
(3)スサノオの娘瀛津世襲足姫(おきつよそたらしひめ)
御子に天足彦(あめのたらしひこ)こと彦坐王(ひこますおう)
(4)スサノオの娘志那津姫(しなつひめ、級長津姫とも表記)
御子に波比岐神(はびきのかみ)こと御年神(みとしのかみ)
以上の通婚を通じて、草部吉見命は終には九州王朝の英雄となります。
3.草部吉見のまたの名
故百嶋氏のメモに「多氏統領:天児屋根命とその他」が残されています。
若年期 | 彦八井耳・国龍
草部吉見・正勝(まさか) 天手長男・真坂(まさか) |
妃:拷幡千々姫
天手長幡姫 |
高木大神の御子 |
青年期 | 海幸彦・火闤降・吾勝(あかつ)大歳・大年・吾田村主
建雷・武甕槌・(阿多) |
妃:置(瀛)瀬尊
市杵島姫 (七夕サマ) |
スサノオの御子 |
安日彦 生島神
丹後の居祖? |
妃:瀛ツ世襲足姫
足島神 |
||
風早・風神・志那ツ彦
天児屋根(志那・級長) (多・大)息長 |
妃:志那ツ姫・雷神
辛国息長大姫(大目命)天細女
|
||
天忍男・ 天忍穂耳尊・忍骨
Aニギ速日 犬飼 擬神体 狩場の明神 高野明神 |
正勝ゆかりの地
常陸那賀郡 真崎 豊前中津市 真坂 薩摩南さつま市阿多 (吾田) |
福岡県小郡市の老松神社に「犬飼神」として祀られています。
故百嶋氏は「安日彦(あんびひこ)」の名は、「投馬国王ナガスネヒコ」の家臣であった当時の
名としています。
4.草部吉見神を祀る神社
熊本県阿蘇郡高森町草部 草部吉見神社
ご祭神:日子八井命(ひこやいみみのみこと)別名国龍神(こくりゅうのかみ)・草部吉見
神・年祢神(としねのかみ)
熊本県阿蘇郡南阿蘇村白川 白川吉見神社
白川水源の鎮守神
ご祭神:国龍大明神・罔象女(みずはのめ)
写真 草部吉見神社 出典:熊本県総合博物館ネットワーク・
ポータルサイト
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写真 「白川吉見神社」出典:九州の神社
同社境内にある 「白川の水源」 出典:同社HP
5.大年(歳)(おおとしのかみ)神を祀る神社
大年神(大歳神とも表記)を祀る神社は「平成祭データ」で検索すると全国に734社あり、最
周密地域は兵庫県で448社が確認されている。その他では広島県108社、島根県55社、山口県38
社、大分県18社、福岡県13社です。
大年神について『記-大年神の系譜』は、またの名を大国御魂神)おおくにみたまのかみ)と
云い、香用比売(かよひめ)との間に生まれた次男御年神(みとしのかみ)が後継者となりまし
た。
次回は「贈孝安天皇」です。