第二十話  スサノオ神話(2)

写真 岩手県遠野市「伝承園」展示「おしら様」 出典:遠野市HP

東北地方で信仰されている家の神。一般には蚕の神

 

1.「蚕と穀物の種」

「スサノオが大気都比売(おおげつひめ)に食べ物を求めたところ、鼻や尻からいろいろなおいしい食料を取り出し、調理してスサノオに提供したところ、その様が汚らしいので大気都比売を殺したところ、その死体の頭から蚕、両目からは稲の種、二つの耳から粟、鼻から小豆、尻から大豆が生まれました。これらの産物をカミムスヒが取り、種としました。」と、『古事記』は記しています。

以上の記事を検討してみましょう。

(1)養蚕の起源

Wikipediaによると、絹の生産は紀元前3000年頃の中国で始まっていたようです。伝説に

よれば、黄帝の后西陵氏が絹と織物の製法を築いたとされ、一説には紀元前6000年頃ともさ

れます。

弥生時代には既に養蚕と織物の製法が伝わっており、日本最古の絹は福岡市早良区の有田

遺跡から出土した絹糸の断面を科学的に分析した結果、純国産で紀元前170年頃と推定され

ています。

また、吉野ヶ里遺跡から出土した弥生時代後期初め頃(紀元1世紀末~2世紀初)の甕棺

(かめかん)に付着していた絹布片に国内最古の錦織の技法が用いられたことが、京都市古代染

色研究家の前田雨城氏の科学的分析で確認されました。

分析によると、絹片には先に確認された貝紫による紫や植物染料の茜を用いた赤のほか、

橙・深緑・青・紫など七・八種の染色糸を使用し、技法も八枚の布を折り重ねるなど際だっ

た技術が見られるという。

色や濃淡の違う布を幾重にも折り重ねた錦の技法は、これまで六世紀から七世紀にかけて

の法隆寺宝物などが確認されていましたが、500年程遡ることが判明しました。

     元京都工芸繊維大学教授布目順郎博士は、著書『養蚕の起源と古代絹』で絹製品の産地に

ついて、日本列島の北九州としています。

蚕の種類については、中国揚子江流域(華中)の太い糸に近いと確かめられています。 日

本列島へは、その後朝鮮半島から細い糸を紡ぐ蚕が伝来しました。

『魏志』倭人伝

「その風俗淫ならず。男子は皆露紒し、木綿を以て頭に招け、その衣は横幅、ただ結束して

相連ね、ほぼ縫うことなし。婦人は被髪屈紒し、衣を作ること単被の如く、その中央を穿ち、

頭を貫これを衣る。禾稲・紵麻を植え、蚕桑緝績し、細紵・縑緬を出だす。」

上記記事から得られるデータは以下の三点です。

  • 男子は縫製のない衣を頭から被っている。
  • 婦人は貫頭衣を着ている。
  • 紵麻(ちょま)の栽培で細い糸を紡ぎ、蚕を育て、吐き出す糸から織物を生産している。

写真 紵麻 別名苧麻(カラムシ) イラクサ目イラクサ科の多年生植物

『魏志』倭人伝

「その四年(正始四年243年)、倭王、また使大夫伊声耆・棭邪狗等八人を遣わし、生口・倭錦・糸

夅青縑・綿衣・帛布(中略)を上献す。棭邪狗等、率善中郎将の印綬を壱拝す。」

上記記事から、正始四年(243年)当時の倭王の名は記されていませんが、「倭女王」と記され

ていないので、「男子の王」であったことが推定できます。

ところが、同八年(247年)「倭の女王卑弥呼」が突然出現します。この点について、故百嶋氏

は『魏志』倭人伝記事は、倭国の歴史をごちゃ混ぜに記述していると指摘しています。

私見も同様で、本来ならば「男王が退いた理由」を記すべき筈ですが、それもありません。

同記事の注目点は、繊維製品の献上で、染色技術も高い水準に合ったことが確認できます。「赤

や青の絹織物」が記述されているからです。

「長髄彦の叛」はおよそ西暦172年の事件で、敗北した吉野ヶ里遺跡の一般女性を埋葬した甕棺

から絹片が出土していることから、「繊維製品の献上」は紛れもない事実だったといえます。

(2)五穀の起源

ア.粟

中国の華北・中原において、紀元前2700年頃には栽培が行われていたという。黄河文明の主

食は専ら粟で、日本列島へは稲より早く伝来したとされます。

イ.稲

日本列島へはおよそ3200年前に長江下流域から伝来したとされます。

ウ.麦

日本列島への伝来時期は特定されていないようです。

エ.小豆

井村屋製菓のホームページでは、「紀元前1世紀、中国最古の「氾勝之書(はんしょう

のしょ)」に、既に栽培方法が記載され、日本の小豆は中国から伝来したと信じられてきま

した。

しかし、DNAを調べた研究では、中国の小豆とは遺伝的に別系統で進化していたようだ

と報告されています。また縄文遺跡からも出土しています。」と記載されています。

オ.大豆

一般的に紀元前2000年前の弥生時代に原産地である中国から朝鮮半島を経由して伝来し

たと考えられているようです。

2.大気都比売(おおげつひめ)とは

大気都比売は『古事記-島々の生成』で、粟の国(現在の徳島県地方)の亦の名としていま

すが、『古事記-蚕と食物の種』では、調理の神として登場します。

記紀神話に登場する食物神は、天照大神や天皇の食事を司ることから「御饌津神(みけつか

み)」とも呼ばれています。亦の名に大宜都比売・保食神(うけもちのかみ)・倉稲魂(うかの

みたま)・豊受姫などがあります。

『古事記』では宇迦之御魂神(うかのみたまかみ)、『日本書紀』では倉稲魂命(うかのみ

たまのみこと)とも表記され、伊勢神宮外宮では「調御倉神(つきのみくらかみ)」とも呼ば

れています。

故百嶋説では、『古事記』と同様で、父素戔嗚尊、母神大市姫の御子で、亦の名に天細女

(あめのうずめ)・志那津姫(しなつひめ)・辛国息長大姫(からくにしなおおひめ)・大目姫

(おおめひめ)・豊宇気姫(とようけひめ)・女鍛冶神(おんなかじかみ)」などがあります。

 

   次回は「スサノオ神話」(3)です。

タイトルとURLをコピーしました