第六十九話  「贈仲哀天皇」(3)

写真 壱岐最大の夏祭り「浦祇園山笠」

写真 小郡市福童「将軍藤」

○「別王(わけおう)」とは

○贈仲哀天皇の“諱(いみな)足仲彦”を祀る神社

○贈仲哀天皇の死

 

1.「別王(わけおう)」とは

「別王」とは直系の王ではないことを示しています。

故百嶋氏は講演会で「別王神社」について触れています。

①孝昭天皇神社 御所市三宅

祭神;春日皇大神(かすがすめらおおかみ)

贈孝昭天皇の正体は天忍穂耳命です。

②岡田神社(別雷神社を俗称とする) 熊本県菊池市七城町岡田

祭神;別雷皇大神(わけいかづちすめらおおかみ)

『熊本県神社誌』は別雷皇大神をスサノオとしていますが、既に紹介したようにツヌガアラ

シトこと贈崇神天皇です。

③大中臣(おおなかとみ)神社 福岡県小郡市福童

(扁額表示)祭神;住吉大明神・大中臣大明神・春日大明神

住吉大明神は表筒男命(おもてつつおのみこと)ことツヌガアラシト、大中臣大明神は中

臣烏賊津臣(なかとみのいかつおみ)ことツヌガアラシト、春日大明神もツヌガアラシトであ

り、三柱の大明神はいずれもツヌガアラシトこと贈崇神天皇を示しています。

『福岡県神社誌』は

主祭神:天児屋根命(=海幸彦)

脇祭神:武甕槌命・経津主命・三筒男命

藤原氏が祖先神を混乱し、天児屋根命(=海幸彦)と経津主命(ふつぬしのみこと)こと彦

火々出見命(ひこほほでみのみこと=山幸彦)を祀るのは滑稽ですね。

同社の県指定天然記念物「将軍藤」は一見の価値があります。「藤」は藤原氏の象徴で

す。

驚かされるのは、拝殿に「注連縄」が飾られていません。

④浦志八幡宮 福岡県糸島市浦志

祭神;八幡皇大神(はちまんすめらおおかみ)こと贈応神天皇

写真  大中臣神社楼門 出典:小郡市役所HP

写真  福岡県指定天然記念物「福童の将軍藤」案内板

2.贈仲哀天皇の“諱(いみな)足仲彦”を祀る神社

・鞍居神社 兵庫県赤穂郡上郷町金出地

御祭神:帯中津比古命(たらしなかつひこのみこと)・息長足姫命(しなたらしひめのみこ

と)・誉津別命

天皇名並びに皇后名は伝えられていません。

・興(こう)神社 長崎県壱岐市芦辺町湯岳興触

主祭神:足仲彦尊・息長足姫命

天皇名並びに皇后名は伝えられていません。

社記に「往古壱岐伊宅郷国名村(湯岳村)国の一宮分社でまた官庫の鑰政所の印を納めて

いたので印鑰(いんにゃく)大明神と称した。」とあります。

・聖母(しょうも)宮 長崎県壱岐市勝本町本浦

祭神:息長足姫尊・足仲彦尊・誉田別命・住吉大神

以上の神社からみえてくるのは、仲足彦と息長足姫の両者が天皇でもなく皇后でもない時代に

婚姻関係があり、壱岐島で新婚生活を送っていた可能性がうかがえます。

また興神社では二人の間に皇子が誕生していないことをうかがわせます。

故百嶋氏は、「タラシナカ彦こと贈仲哀天皇と息長足姫こと神功皇后との婚姻期間は一年未満

で、二人の間には御子はいません。」と述べています。

3.贈仲哀天皇の死

死因について筑紫の橿日宮で病死とするも、その場所を明らかにしていません。一書では熊襲

討伐のさなかに賊の矢で崩じたとあります。

背景には、九州王朝内における新羅征伐主戦論と、熊襲征伐主戦論との対立があったことをほ

のめかしています。

おそらく、贈仲哀天皇はこの政治的対立の偵察活動中に不慮の死をを迎えたのでしょう。追伸

追伸)小郡市に一ヶ月滞在中は、小郡市観光協会「速水事務局長」様に大変お世話になりました。

小郡市民は親切ですよ。

次回は「神功皇后」(1)です。

 

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