第六十二話  「景行天皇」(1)

写真 西条まつり 「伊曾乃宮」 出典:西条市HP

武国凝別命を祀る神社 伊曾野神社  愛媛県西条市中野甲

ご祭神:武国凝別命

西条まつりは、江戸時代から続く伝統行事。五穀豊穣を感謝する神事で伊曾乃(いその)神社、嘉

母(かも)神社、石岡(いわおか)神社、飯積(いいづみ)神社の四つの神社の例祭の総称です。

○正統な天皇ではなく藤原氏によって贈られた天皇

○贈景行天皇の皇后・妃と皇子・皇女

1.正統な天皇ではなく藤原氏によって贈られた天皇

父とされる生目入彦こと贈垂仁天皇の生年はAD198年生まれ、大足彦こと贈景行天皇の生年は

AD200年生まれで、贈景行天皇が贈垂仁天皇の嫡男であるはずもありません。

故百嶋氏によれば、父は孝霊天皇の御代に九州王朝特務機関長だった御年神またの名拝跪神、

藤原氏によって贈られた贈孝安天皇、母は日葉洲媛命(ひばすひめのみこと)です。

大足彦の祭祀におけるハンドルネームは天種子(あめのたねこ)と呼ばれ、父と同様に  九州王朝

特務機関長であったと推測されます。

2.景行天皇の皇后・妃と御子

(1)『古事記』

①若建吉備津彦(わかたけるきびつひこ)の娘、皇后播磨稲日大郎女(いなひおおいらつめ)、

御子に櫛角(くしつぬ)別王・大碓命(おおうすのみこと)、小碓命(おうすのみこと 稚倭根

子皇子・日本童男・日本武尊)の三柱。

若建吉備津彦は孝霊天皇と和知津見命(わちつみのみこと)の娘ハエイロチとの御子、桃太郎

伝 説のモデルとなった吉備津彦の嫡男と推測します。

皇后播磨稲日大郎女の「大郎女」は固有名詞ではなく、女性を意味する普通名詞で、その名に

特定性はありません。

櫛角別王は管見に見えません。

大碓命は小碓命によって惨殺したと記されています。

小碓命のまたの名「稚倭根子(わかやまとねこ)皇子」とは開化天皇です。

②八尺入日子命(やさかにゅうひこのみこと)子の娘八坂入日賣を娶り、若帯日子命(わかたらし

ひこのみこと)・五百木入日子命(いおきにゅうひこのみこと)・押別命(おしわけのみこと)・

五百木入日賣命(いおきにゅうひめのみこと)の四柱。

「神々の系図-平成12年考」によれば、八尺入日子命は贈崇神天皇ことツヌガアラシトと大海姫

(おおあまひめ)との御子で、娘八坂入日賣(AD230年)と夫大足彦こと贈景行天皇の生年はAD200

年ですから、年齢差は30歳です。

若帯日子命(後の贈成務天皇)の生年はAD220年ですから、八坂入日賣より10歳年上となり、親子

関係は認められません。

では、母親は誰でしょうか。

「神々の系図-平成12年考」に大足彦別名天種子(あめのたねこ)がみえ、また、天種子の妻百

姫(ももひめ)と娘の八女津姫またの名美奴売姫(みぬめひめ)があり、百姫が有力候補ですが確

定は出来ません。

五百木入日子命・五百木入日賣命の二柱も贈景行天皇と八坂入日賣の実子かどうかわかりません。

百姫の父武国凝別と五百木氏との関係がうかがえるからです。

押別命は管見に見えません。

③妾の子豊戸別王・沼代郎女・沼名木郎女・香余理日賣命・若木入日子王・吉備の兄日子王・高木比

賣命・弟比賣命の八柱。

吉備の兄日子王は吉備津彦の別名と考えられます。

他の七柱は、よく似た名はあるものの特定できません。

④日向の美波迦斯毘賣(みはかしひめ)を娶り、豊国別王の一柱。

別王(わけおう)の実態がわかりません。

⑤播磨稲日大郎女の妹伊那毘能若郎女(いなびのわかいらつめ)を娶り、眞若王・日子人の大兄王の二

柱。

似た名はあるものの特定できません。

⑥倭建命の曾孫、須賣伊呂大中日子王の娘、迦具漏比賣を娶り、大枝王の一柱。

有力豪族の子弟を挿入しているのが見え見えです。

わざわざ、若帯日子命・倭建命・五百木入日子命の三柱を太子と認めています。すなわち、トリ

ックの種明かしです。

(2)『日本書紀』

①播磨稲日大郎女を皇后とし、大碓皇子・小碓命の二柱。

『古事記』と違い、父の名を記していません。

小碓命のまたの名日本童男(やまとおぐな)・日本武尊(やまとたけるのみこと)の二柱。

『古事記』は小碓命のまたの名を稚倭根子(開化天皇)とし、トリックを仕掛けています。

②八坂入彦皇子の娘八坂入媛を娶り、稚足彦天皇・五百城入彦皇子・ 忍之別皇子・稚倭根子皇

子・大酢別皇子・渟熨斗皇女(ぬのしおうじょ)・五百城入媛皇女・籠依姫皇女・五十狭城入彦

(いさきにゅうひこ)皇子・吉備兄彦皇子・高城入姫(たかきにゅうひめ)皇女・弟姫皇女の十三

柱。

③八坂入媛の妹弟姫を娶る。

弟姫は孝霊天皇の弟伊予皇子の正妃です。

④三尾氏磐城別の妹水歯郎女との間に五百野皇女

詳細は全く不明です。

⑤五十河媛との間に神櫛(かみくし)皇子・稲背入彦(いなせにゅうひこ)皇子の二柱。

五十河媛の出自は不明です。

神櫛皇子は讃留王(さんるおう)伝説によると「悪魚退治」のた め、吉備国から派遣された王

子で、東讃では神櫛王、西讃では武穀   (たけがい)王と呼ばれ、小碓命と同母の伝承もあり

ますが、贈景行天皇の皇子とするには疑問が残ります。

神櫛皇子を祀る神社  椋梨神社 香川県仲多度郡

⑥三尾氏磐城別(いわきわけ)の妹水歯郎女との間に五百野皇女

詳細は全く不明です。

⑦妃日向髪長大田根(ひゅうがかみながおおたね)との間に日向襲津彦(ひゅうがそつひこ)皇子一

柱。

同皇子を祀る神社 稲葉神社 宮崎県西都市

同地は大山祇一族の聖地西都原古墳に近く、日向襲津彦皇子は大山祇一族に繋がる人物かもし

れません。

⑧阿倍氏木事の女高田媛との間に武國凝別(たけくにこりわけ)皇子。

「神々の系図-平成12年考」によれば、武國凝別皇子の父は御年神こと贈孝安天皇、母は瓊瓊杵

尊(ににぎのみこと)の娘古許牟須媛(こけむすひめ)としています。

武國凝別皇子はAD188年生まれで大足彦こと贈景行天皇の異母兄であり、贈景行天皇の皇子ではあ

りません。

⑨妃襲武媛(そぶひめ)との間に國乳別(くにちちわけ)皇子・國背別皇子(くにせわけ)・豊戸別

(とよとわけ)皇子の三柱。

「神々の系図-平成12年考」によれば、水沼別祖國乳別皇子の父は生目入彦こと贈垂仁天皇、母

は武國凝別の娘百姫(ももひめ)としています。

水沼は九州王朝の膝元の地、現在の久留米市三潴町です。

國背別皇子と豊戸別皇子の両親は不詳ですが、豊戸別皇子は火國別の始祖とありますが、名の

「豊」と支配地の「火國」では平仄が合いません。したがって同皇子の系図には不信が残ります。

景行天皇の八十人の子のうち、日本武尊と稚足彦天皇並びに五百城入彦皇子以外は、皆国々に派

遣したとしていますが、空々しい編纂姿勢は『紀』編纂者自らがこの系図には疑問を持っていたの

でしょう。

写真 西条まつり 「伊曾乃宮」 出典:西条市HP

武国凝別命を祀る神社 伊曾野神社  愛媛県西条市中野甲

ご祭神:武国凝別命

西条まつりは、江戸時代から続く伝統行事。五穀豊穣を感謝する神事で伊曾乃(いその)神社、嘉母

(かも)神社、石岡(いわおか)神社、飯積(いいづみ)神社の四つの神社の例祭の総称です。

祭では、細工を凝らした屋台(山車のこと)が列をなし、太鼓や鉦で人々の祭り囃子が町中に響き渡

ります。

私も二度見学しましたが、一言で言えば「豪華絢爛」につきます。あるいは、「高山まつり+豪壮」

です。鑑賞する価値はありますよ。

写真 鬼頭(おにがしら) 出典:同社HP

同社祭礼の取締りをする人たち

 

次回は「景行天皇」(2)です。

 

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